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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ35
南部一郎校長先生

私は、昭和24(1949)年に桑名市立明正中学校に入学し、同27年に卒業しました。その間の校長は南部一郎先生でした。小柄な体格で非常に勤勉実直な感じの先生でした。南部先生が何故明正中学校長になったのかは、今回『桑高百年―三重県立桑名高等学校創立百周年記念誌―』を編さんする過程で知ることができました。

南部先生は明治33(1900)年1月3日、員弁郡神田村瀬古泉(現東員町瀬古泉)の生まれで、神田小学校を卒業して、三重県立富田中学校へ進学しました。当時は北勢線も三岐本線も開通しておらず、瀬古泉から丘陵を越えて、大鐘村・平津村を通り、富田まで片道2時間をかけて通学しました。高学年になってから自転車通学となりました。

富田中学を卒業後は広島高等師範学校文科へ進学し、大正13(1924)に卒業して、修身教育と英語中等教員の免許を取得し、発足して2年目の桑名中学校へ赴任しました。その後は桑名中学校の基礎固め、発展に努力しました。

昭和12年に桑名市が発足しますが、当時の貝塚栄之助・桑名市長と懇意にしていました。桑名市では桑名市立実科高等女学校が昭和13年に創設されますが、校長は市長の兼務でした。昭和18年に桑名市立実科高等女学校が桑名市立高等女学校(以下市女と略称)に改変され、専任の校長が必要となり、貝塚市長の懇請で南部先生が市女の初代校長に就任しました。そして市女の最後まで校長を勤めた市女唯一の校長です。

生徒の工場動員、昭和20年7月には戦災により校舎の焼失と、激動の時期を乗り切って、戦後は独立校舎の計画が立てられました。しかし教育制度改革により、新制中学校が発足し、旧制の中等学校は解体されてしまいました。そして旧制中等学校の優秀な先生は新制中学校へ転勤させられました。昭和23年旧制中等学校解体とともに、南部先生は新制の桑名市立第二中学校(のち明正中学校と改称)の校長に就任しました。そして新制中学校の草創期に力を尽され、昭和28年に退職されました。その後は地元の子ども達に英語を教えたりられ、昭和とともに、この世を去られました。

明正中学校の地は近鉄益生駅・北勢線馬道駅に至近の場所で、通学に便利な土地として、戦後に三重県立桑名高等女学校を建てるべく、用地を買収し、埋め立てられた場所です。ところが旧制中等学校解体のため、出来上がったばかりの校舎も明正中学校に譲られた経緯があります。私が入学した当時は運動場も石ころだらけで、石拾いが行事の一つでした。

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