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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ25
桑名中学校と諸戸家

初代諸戸清六は1代で財産を築いた富豪ですが、彼の2男精太が古い屋敷を継承し、西諸戸と通称されました。また4男の清吾が2代目清六を継ぎ、隣接地に西洋館を含む新居(現在の六華苑)を建て、東諸戸と称されました。諸戸家では地域貢献や人材育成に力を入れています。

桑名中学校は最初は県立でなく、桑名町立として創立されましたが、その創立資金10万円のうち、諸戸精太が3万円を出しています。また2代目清六は大正7年に10万円を醵出して、諸戸育英会を組織して、高等教育を受ける人に奨学金を支給していますが、大山田村在住者に限って中学生にも例外的に支給をすることにしています。そのころは未だ桑名中学校がなかった時代ですが、同12年に桑名中学校が出来ると同15年に規約を改正して、桑名町居住者にも支給することにしました。

大正14年に大山田村東方(現在の桑名高校の位置)に桑名中学校の校舎が完成しましたが、2代目清六は施設の充実などに支援をしています。昭和2年にテニスコートを寄贈、同3年に図書館の書籍数千冊の寄贈。さらに野球のバッテングゲージの寄贈、慶応大学から水原選手と土井捕手を野球のコーチとして呼んだりしています。

2代目清六は昭和2年頃に桑名中学校の南隣に別宅の徳成邸を建てました。一説によると、彼の息子の民和が、この年に桑名中学校に入学したので、通学に便利なように徳成邸を建てたとも言われます。精太の息子の精文も同年に桑名中学校に入っており、同じ徳成邸から通学したようです。民和の弟である鉄男も桑名中学校へ通いました。

この徳成邸は2代目清六夫人が晩年の昭和61年まで住んでおられました。今は主人不在の空き家になっていますが、夫人が住んでいたままの状態で残されています。先日見学させてもらいましたが、タイムスリップしたような、昭和の生活感が溢れている建物です。

このままの状態では、いずれ取り壊される恐れがあります。樹木の繁茂する庭園も含めて、「水と緑と歴史が育む豊かな快適交流文化都市」をスローガンとする桑名市の品格を象徴する環境を備えている場所と思います。
薄れ行く「昭和の記憶」を後世まで保存できるようにと私は念願しています。

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