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連載 桑高百周年シリーズ 郷土史家 西羽晃(著)

桑高百周年シリーズ11
郡立から県立の高等女学校へ

明治43年(1910)に創立された桑名郡立高等女学校は志望者が多く、施設の充実が望まれて、郡立でなく県立への移管運動が大正5年(1916)ころから始められました。しかし県としても経費がかかるので、移管に消極的でした。大正7年の志願者数は2倍を超えて104人に達しています。そのため大正8年から補習科を廃して、本科定員を1学年100人としましたので、入試難は緩和されました。しかし授業料は値上げされ、郡内生は1円50銭、郡外生は2円になりました。そのころは第一次世界大戦が終わり、戦後不況に見舞われ、物価も急騰しましたので、大正9年には授業料が再び値上げされ、郡内生は2円、郡外生は2円50銭となりました。

県立への移管は一時頓挫していましたが、郡制度そのものが廃止になることとなり、郡立は県立に移管されることになりました。県立にするためには施設の充実が求められ、大正10年4月から校地拡張工事が始まり、9月15日には増築校舎の上棟式も行われました。その直後の9月26日、暴風雨のため、建設中の校舎が倒壊するパプニングに見舞われました。しかし工事は急ピッチで進められ、大正11年3月26日に2階建校舎が落成しました。そして同年4月1日から県立となり、三重県立桑名高等女学校と改称されました。同時に授業料も2円均一となりました。12年には講堂も完成しました。この年から制服が変わりました。それまでは着物姿で、袴の裾に白線が1本入っていましたが、セーラー服となり、スカートの裾に白線が1本入っていました。

志願者はますます増えつづけ、大正13年には223人もあり、定員の2倍以上にもなりました。そのため大正15年から1学年3クラス(定員150人)となりました。しかし昭和に入ると、世界恐慌に見舞われ、進学希望者が激減しました。昭和5年(1930)には志願者は147人で定員割れの状態でした。翌6年の志願者は159人で辛うじて定員を超えた程度でした。その後はまた増加しています。

施設の充実も図られ、昭和3年には校舎が増築され、翌年には旧校舎の一部を取り壊し、その跡地に昭和天皇御大典記念として図書館が完成しました。これは職員や同窓生、生徒の寄金で作る予定が、桑名の富豪伊藤紀兵衛氏だけの寄付で建ちました。昭和5年には鉄筋コンコクリート造りの立派な奉安庫が出来ました。これは職員や生徒などの寄付によります。奉安庫とは教育勅語や天皇皇后陛下の御真影(写真)を納めておく場所で、何よりも大事な場所でしたから、昭和20年の空襲で全設備が焼失した時も焼け残りました。

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